すきになってからのこと


明日、2021年11月12日(金)

遂になにわ男子が西畑大吾くんがデビューする




という事でいよいよ明日…書いてる時は全然明日じゃないけど投稿している11月11日もどことなく実感は湧かないのかな〜なんて思ったりするのです


初めてのジャニーズJr.の推しでずっとデビューを夢見て応援してきたのだからこれは記念に書くしかないので書くぞ!!!!!




【関西ジャニーズJr.西畑大吾くんと生きた日々】



出逢ったキッカケは大吾くんもファンである嵐さん。元を辿れば小学校1年生の終わりに映画館で見た櫻井翔さんに心を奪われ小学校時代は嵐さんに捧げました。それくらい頭も心も嵐さんでいっぱいの日々の中、大吾くんとの出逢いは突然。

たまたまYouTubeで嵐さんの動画を見ていた時に「嵐を語る先輩後輩」という動画を発見

興味本位で再生した動画には私も知ってるジャニーズ事務所の方々が嵐さんのお話をしていて、その中で「誰だこの子?」となったのがまいジャニで嵐さんのお話をしていた西畑大吾くんでした。

脳内記憶容量がガラケーでお馴染み()の私だけど今でもあの瞬間の事は覚えていて、

「何この子、私と考えてる事思ってる事一緒じゃん!そうなんだよ〜分かってるな〜」と完全にオタク友達で推しを語って共感し合うアレだったのです。

この日から完全に私は"西畑大吾くん友達になりたい!語りたい!"という特殊感情で沼に片足を入れていきました、、、色々と調べていけば仮面ライダーが好きだということを知り父弟による特撮英才教育を受けていた私は大歓喜「ここまで気が合う人居るのか」と(笑)

時間が経ち気付けば完全友達目線のように応援していたのが「この子のデビュー見届けたいな」という応援・好きの感情に変わっていてそれが2014年後半だったかな (肝心の日付とか全く覚えられない人)


ですが「好き!」「応援したい!」と思ってもどうすればいいの? 今まで嵐さんしか見てこなかった ジャニーズJr.なんてテレビで少し見た事ある数人くらいしか知りません。しかも関西なんて関東の人間からしたらもっと分かりません。∞さんは嵐さんと近いから知ってるけど、カウコンで「僕達CDデビューします!」と言ったWESTさんがギリ知ってるくらい。応援したいにも八方塞がり、まだ子供な自分にはYouTubeがギリ情報源のような状態でした。

だから沼にハマってから1年くらいは動画で見る人!のような存在。だけど、一緒に活動していた6人の中で端のポジションでも可愛い笑顔で輝いている大吾くんに段々と好きが募りました。そんな日々を過ごす中学生の私、予想外の場面で"はじめまして"のご対面をする事に。


2015年5月 たまたま連れて行って頂いたジャニーズWESTパリピポ魂。知識が浅い私はバックに関西Jr.が付くなんて知りませんでした。

Jr.紹介コーナーが始まり画面に映ったのは向井康二くん。見た瞬間「え?関西Jr.がこの空間に…もしかして居るの…?」ソワソワしながら他の関ジュを見届けていく中 「西畑大吾〜!!」の声と共に画面に映る大吾くん。驚きと嬉しさで泣いてました。

一度会えば好きの感情に拍車がかかるもので "関西だから何だよ!距離なんて関係ねえ!"と簡単に会いには行けないけど今まで以上にTVや雑誌で自分なりに追いかけようと決心します。


2015年は関西Jr.にとって厳しい時だったと無知な中学生でも感じていました。大吾くんが繰り上がりのように関西Jr.のセンターになったのもこれくらいの時期だった気がします。風当たりが強かったのも何となく感じていたし、此方の思い込みもあると思うけど時々無理をしているような大吾くんを見る事もありました。

でも2015年の少年たちは親から申込の許可を貰えなかったけど初めて大吾くんのグッズを買った公演でした。

初めての大阪 初めての松竹座 初めて「西畑大吾くんのフォトセット1つください」とグッズを買ったこと 私にとっては思い出深い1年だったなと思います


2016年

2回目の朝ドラ「あさが来た」 ごちそうさんはしっかり見れてなかったからクレジットに"西畑大吾"が出てきた瞬間に写真を撮って感動したり(今でも残ってる)、今日は出るかなって毎朝テレビに張り付いたりしました。

関東住み中学生の私には春松竹も夏松竹もクリパも決まる現場全部行ける財力が無くて、親からの許可も降りなくて口癖は「大阪住みたい」で会えない事への辛さと愛を募らせる1年だった。


2017年

東西Jr.SHOW合戦で大吾くんが東京に来てくれた事が本当に嬉しかった。この為に受験も頑張って、初めて単番参戦もしました。1番覚えているのは大吾くんがソロで星をさがそうを歌ったこと、東京という地で堂々と歌い上げる姿と今まで番組で聴いていたよりも歌が上手くなっていて、勝手に成長を感じて感動したのを覚えてる。他にもビクゲとかBringiton(未だに4人が最強だと思ってる)とかストと披露した曲たちも大切な思い出。"東京に負けねえぞ"という関西魂も沢山感じた公演だった。

PとJK ジロちゃんも大好きだった〜〜〜

映画も勿論ですが番宣でVS嵐に出演した事が大きくて、関ジュ日誌で念願の出演を喜んでて本当に嬉しくてVS嵐に"西畑大吾"とテロップが出て嵐さんと会話を交わしていて幸せだったな〜

そして西畑大吾くんと3回目のご対面、初の松竹座観劇をしたのがこの年の少年たちでした。 語彙力皆無オタク スマホのメモに自分レポがありますが今見返すと全く分かりません(レポの意味) 鮮明に覚えているのは通路横の席で真横を大吾くんが颯爽と駆け抜けて行った事です。ただ会えた事が幸せでした。

スタ誕とラストレシピの公開もこの年なのかと振り返りで気づいた、1年で映画3作品って売れっ子俳優さんみたいじゃんと今更ながらに思ってます。

スタ誕の時は一緒に楽曲を披露する事は少なくて大吾くんの後ろの立ち位置だった丈くんとエンドレスを組み、今となっては同じグループの年上2人としてメンバーを引っ張っていてそしてデビュー

あの当時は全く考えられなかったけど凄くエモい

ラストレシピの情報解禁された時は夢のように感じたし尊敬する教祖様との共演は自分の事のように嬉しかったな。映画の中でも重要ポジションで大吾くんの凄さを感じたし二宮さんとの取材とか2回目のVS嵐、しかも単独でプラスワンとしての出演!ジャニーズJr.では考えられないようなお仕事で改めての尊敬と嬉しさとを感じたな。


2018年

やっぱり大きいのは"なにわ男子"の結成だった。他にもたくさん出来事はあったけどグループ結成は自分にとっても、関西Jr.にとっても、そして本人達にとっても大きすぎる事だった。

今だから言えるけど、私はどちらかといえば否定的とまでは言わないけどグループに違和感を感じてた方の人間だった。多くの人が感じではいたのだろうけど、やっぱりそれぞれに今まで共に活動してた人が居てそれがごちゃ混ぜに組まされた感による困惑。絡みがガッツリない7人というグループに対する不安。みたいなものが当時は入り交じってたなと思う。年齢的にも「これがラストチャンスなんじゃないか」と思っていたからこそ本当に大丈夫なのかと過度に不安になってました、、、


2019年

そんな私がなにわ男子に着いていこうと思えたのはやっぱりダイヤモンドスマイルが大きかった。本人達の"キラキラアイドルでやっていく"という強い気持ちとポテンシャルの高さを感じてその時にスっと心から応援できるように、応援させてください、着いて行かせてくださいという気持ちになった。

そして2019年は本当に目まぐるしく色々な事があって今までじゃ考えられないようなお仕事の量と大きさ、関西ジャニーズJr.全体にやっとスポットが当たり出した年でもあった気がする。

新体制の春松竹、歌番組出演、情報番組レギュラー、なにわ男子座長の少年たち、GO!GO!EXPO、初全国ツアーなどなど最早私1人では思い出しきれない程たくさん

特に全国ツアーが思い出深い、とにかく楽しかった!嬉しかった!幸せだった!なにわ男子大好き!なツアーだった!!!!!(語彙力2)

なにわ男子の方向性を強く感じるコンサートで統一感がエグかった。突如学校のチャイムが鳴り「コントするんか?」って思ったら乙女ゲーム的映像が流れだし「あ、この子達はキラキラなんだった」と思ったり、念願の兄組夜の影(私は死んだ)、ダイスマ→ホワラ→ラブレの天才的流れ(ラブレのきょへだいが大好きだと一生言ってる)、初日2Facedのどよめき(私は死んだ part2)、2日目には城ホ追加公演に京セラドーム公演の発表に加えて康ちゃん登場での関西アイランドなどなど

とにかく楽しいしか出てこないツアーだった

マジでもう一度アオハルしたい個人的には制服参戦が出来た事もあり思い出深いですね〜円盤まだかなとずっと言っております(兄組・弟組&城ホの干支ユニどちらも入れてくれ)(アオハル懐古オタク)


2020年

なにわ男子単独の大阪城ホール公演で幕を開けた2020年。こんなに広い会場を単独で埋められるんだと改めて凄さを感じた。そして関西ジャニーズJr.での京セラドーム公演。「関西ジャニーズJr.はこんなにも強くなったのか」とただただ感動した。大変な時期を乗り越えたからこそ団結力があり、組織として強いのだと思った。なにわちゃんは方向性的に関西曲を披露する事が少なくなってきたから関西曲満載なのも嬉しかったし、関ジュだから出来るシャッフルメドレー(koi-wazurai…好き…)、集団で魅せるバチバチカッコイイ曲たち私が大好きな関ジュが沢山見れて3日間本当に幸せだった。 好きになった頃は大阪なんて行けないって泣いてたのが2週連続で行けるようになって自分の成長を感じ、京セラ3日目は終電で帰って次の日1限から登校したJKの体力(今はもう無理)、総じて2020 年初めは楽しかった。出来るならもう一度過ごしたい。(定期懐古)

そこから一点、コロナの影響で現場は軒並み中止になり会えないことの辛さを凄く感じた。昔は2年に1回程しか会えなかったのにいつから私は欲深い人間になってしまったんだろうと思ったりもした。

その分、配信ではたくさん会えた年でもあった。

いつもなら絶対全ステなんて出来ないけど配信なら全部の公演が見れて新しい形の可能性を感じると共に、普段は双眼鏡ロックオンオタクだから「今のとこ抜いてよ!!」ともなった。そして何より会いたい気持ちが募るばかりなのに会えない現実に泣いてる日々もあった。

でも、こんな大変な時期でもメディア露出が増えていくなにわちゃんで心配もあったけど救われた部分が大きくて初めてのMステとかメンズ校とか、皆で感想を呟いて賑わってるTLが楽しかったりアイドルの偉大さを凄く感じた1年でもあった。


2021年

会えると信じていたあけおめも叶わず「今年もこんな1年なのか」と配信コンサートに心から楽しみつつも少し悲しさを感じた正月。

でもやっっっっっと決まったコンサート、しかもアリーナツアー!!!!!!!本当に嬉しかった

久しぶりに「コンサートがあるからバイト頑張ろ!」「講義頑張ろ!」って思えた日々で、何を着ていこうか髪はどうしようかって悩む事も楽しくて、現場に集うオタクを見ただけで知らない人なのに仲間意識が芽生えたりした(笑) 

デビューのことは前に書いたのでここで多くは書きませんが、ツアーが終わった10月くらいからどんどんお仕事が決まっていき最近は朝起きたら何かしら決まってるんじゃないかってくらい

そしてMV再生回数の伸び率や、毎日のようなTV出演で"デビュー"の凄さを感じる10-11月でした。




関西ジャニーズJr.はやっぱり東京と比べると光が当たらない事が多くてin大阪はずっと年に1回だったから舞台があっての東京少クラ出演が本当に嬉しかったり、ジャニーズJr.祭りとか言ってるのに出演欄に関ジュはなくて「じゃあJr.祭り名乗るなよ!?」って思った事もあったり(城ホやったけど)、そんなことで一喜一憂した日々が多くあった。どうしてもお芝居のイメージが強くて「もう俳優さんになるんじゃない?」と言われた事も少なくなくて、でも大吾くんはキツい状況からセンターになって段々アイドルとして強くなっていたからこそ「絶対デビューするから!!!!!」と信じ続けた約7年でもあった。

気付けば好きになった当時の大吾くんの年齢を自分が追い越していて、飽きっぽい自分にとって約7年は長い年月を(勝手に)共に生きたように感じます。

決して楽しい事ばかりでは無かったし、私の知らない場面でのキツい事も多くあったはず。でもデビューの夢を追いかけ続けてくれたから応援したいと思えて、関西ジャニーズJr.の西畑大吾だから好きになったのだと思います。在り来りな言葉でしか表せないけれど好きになれて本当に幸せです。

できるだけ永く愛されるグループ・大吾くんであって欲しいと思うのと同時に、できるだけ永く大吾くんを好きな自分で居たいなと思います。。。





10年間 関西ジャニーズJr.として生きてくれてありがとう。 これからも宜しくお願いします。大好き。